再録:クロストークvol.3 フォッタロットの挑戦 あの手この手で写真を売る!

kakishima

□ 柿島貴志 photta-lot

■ 小林美香 

  • 写真のコレクター 
  • 展示の歴史、写真の売買
  • デジタル・フォトフレーム
  • フォッタロットの設立にいたるまで
  • フォッタロットの仕事 

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写真のコレクター 

 

■ 柿島さんはフォッタロットというレーベルを作って、アート写真を販売する、ということを試みているわけですが、具体的な活動の話に入る前にまず、「アート写真ってなんだろう?」ということを、いくつかのトピックというものを取り上げて考えてみたいんです。アート写真とはこういうものなのだと定義するのではなくて、どういう条件とか環境があって、写真がアートとしてみなされるのか、コレクターの存在だとか、美術館やギャラリーという展示空間やその歴史、アートの市場、額装といったいくつかのキーワードを出していこうと思います。

□ まず額装ということに関連して紹介したいのが『プラダを着た悪魔』という映画です。メリル・ストリープとアン・ハサウェイが出演していて、ニューヨークの著名なファッション雑誌の会社が舞台になっているんですが、ストリープが演じる編集長の壁には写真が沢山飾られているんですね。額装の仕事に携わっている立場から見ると、この映画の見所はこの壁なんですよ。これだけ大きさや形にバリエーションのある額がこういうふうに飾られている場面を日本の映画で見ることはないんですよね。この壁面が写っている場面は、宣伝用のポスターやウェブでも使われていて、この映画の印象を伝える上で重要な役割を果たしているんですよ。
Collector

■ たしかに、日本の家屋やオフィスでこれだけの数の額を壁面を埋めるように飾ったりする、っていうことはないですよね。

□ よくみると額装の仕方や配置の仕方もよく考えられていて、写真に囲まれるようにして壁に取り付けられた鏡がポイントにもなっていますよね。

■ この場面では、飾られている写真が誰が撮ったものなのかということまでは判らないのですが、モノクロの写真が多くて、ファッション写真の流れに関連づけられるヴィンテージ・プリントが飾られているという設定として演出がほどこされているようですね。こういう写真が壁に飾られているということは、舞台であるこの会社がとても格式が高い、ステータスのある会社だということも意味しているわけですよね。写真のコレクターとしてご紹介したいのが、イギリスのミュージシャン、エルトン・ジョンです。エルトン・ジョンは、1990年代初頭から写真のコレクションを始めて、2000年にはジョージア州アトランタにあるハイ美術館でChorus of Lightという彼が所有する写真のコレクション展を開催しています。この展覧会のカタログに、彼の邸宅を撮った写真が何点か掲載されているんですが、飾られている写真作品はもちろんのこと、室内のインテリアも凄いんです。

□ まず眼を惹かれるのが、幅10センチくらいありそうな存在感のある金色の額縁ですね。こういう額縁はそうそう日本ではお目にかからないですよ。僕は5年ほどイギリスで生活していたので、居住空間の壁に対する感覚の違い、っていうのは大きいなと思います。インテリア・アートの販売の仕事をしていた経験からもわかるんですが、日本では壁に作品を飾って楽しむという習慣が欧米のようには根づいていないんですよね。お客さんのお話を伺っていても、壁にポスターやカレンダーを貼っているという人は多くても、壁をインテリアとしてきれいに飾るまでにはいたらないというか。

■ リビングの壁にアーヴィング・ペンや、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・クラインといった写真史上の巨匠の作品が架かっています。寝室にはジョエル・ピーター=ウィトキン、ベッドの上の壁にはマン・レイの作品がありますね。

□ こんな作品に囲まれてよく眠れるなぁ(笑)。このベッドルームに行ける人しか作品は見られないわけでしょう?口説き文句が「マン・レイの写真見に来ない?」とかだったりして。

■ エルトン・ジョンは自分がゲイであること公表していますけれど、彼のコレクションの一部には、ハーブ・リッツや、ロバート・メープルソープ、ジョージ・プラット・ラインス、ブルース・ウェーバーなどによる美しい男性のヌード写真があって、長椅子を置いたコーナーの壁にまとめて飾られていたりもします。

□ こういう風に沢山の額を組み合わせるような飾り方って、油絵の場合だと、もっとくどい感じになってしまいがちなんですが、写真だと「組み写真」という考え方もあるように意外にうまくおさまることもあるんですよね。

■ クローゼットの壁なんて,写真が飾ってないところがないぐらいですよ。

□ 額装をしている立場から見ると、デュエイン・マイケルズのシークエンス作品の額装の仕方は凄いですね。大きなマットを二枚重ねて、作品の点数にあわせて切り抜いてあります。このマットの加工だけでも結構お金かかりますよ。

■ 『プラダを着た悪魔』のセットにせよ、エルトン・ジョンのコレクションにせよ、写真をアート作品として見せる美術館やギャラリーのような空間があり、作品を売買する市場があって成り立っているわけですね。作品の価格というのは常に変動するものですが、写真作品の中には何千万円、何億円の価格がつけられて取引されているものもあります。リーマン・ショック以降、アート市場が軒並み下落しているという事情もあるのですけれどね。
CHRISTIE’S <や PHILLIPS De PURYSWANN Auction Galleriesのサイトなどを見ると、現在どれくらいの価格で写真作品が取引されているのか,ということがわかりますね。11月はオークションが開催されることが多くて、私もニューヨークで美術館の仕事をしていた頃に何度か内覧会を見に行ったりしたことがあります。自分の生活実感とはかけ離れた規模の金額で、美術作品が取引されているんだな、と現場を目の当たりにして呆然とした記憶があります。


展示の歴史、写真の売買

History Exhibition

■ アート作品を価値づけて流通させる仕組みが、欧米を中心に時間をかけて築き上げられてきたということ、またその仕組みの上に「アート写真」が成り立っているということを確認するために、美術館や展示の歴史をかいつまんでお話ししておこうと思います。まず、17世紀にイタリアで制作された版画で、キャビネ・ド・キュリオジテ(珍奇陳列室)を描いたものです。天井に鰐がはりつけられていて、それを部屋の中にいる人たちが見上げている。ほかに貝やらいろんなものが置かれているのが描かれています。大航海時代の栄華を背景に、16、17世紀のバロック期のヨーロッパでは、裕福な王侯貴族の間で、自分の邸宅内にこういった部屋を設けて、世界中から集められた珍奇なるものを蒐集することが流行っていたんですよね。蒐集する、所有するということは支配することの一つの形だし、それを見せびらかすということは、権力を誇示する方法なんですよね。
こういうところから始まって、18世紀末のフランス革命以降、王侯貴族の財産である美術品が一般的に公開されるようになって、現在の美術館の基礎が徐々にできあがっていくわけです。「グランド・ルーブルの改修プロジェクト」という絵は、現在のルーブル美術館を描いたもので、壁を埋めるように絵が架けられていて、天窓から光が差し込む回廊が描かれています。そもそもギャラリーという言葉には回廊という意味があるわけですけれども。美術館での展示の仕方を18世紀から現在にいたるまでを辿っていくと、18世紀には作品を大きさで分けて展示の位置を決めていたのが、19世紀には見る人の視線の高さにあうように作品が架けられるようになって、20世紀にはテーマや時代で作品を区分して、見る人に作品の背景や文脈を含めた価値を伝えることが展示という営みの担う役割になっていくのがわかります。こういう歴史の流れやその中で培われてきた価値観の上に「アート」の世界というのは成り立っているということは理解はできる。だけれども、それは日常生活の近くにあるもの、というよりも美術館の中の世界として存在しているものとして受け止めがちですよね、けっして私たちの生活や居住空間と関連づけやすいものではない、と。一点の作品が何千万、何億円で取引された、ということをニュースとして知って凄いな、と思うことはあっても、別世界で起きていることのようにしか思えないですからね。
それでは、日常生活の中で身近なものとしてアート作品、アートとしての写真作品を流通させようという試みとして、最近どのような展開があるのか、ということも紹介しておきましょう。柿島さんの活動にも関係してくると思うのですが、まず一つにはインターネットを介した作品売買ですね。20×200という写真やプリント作品を販売しているサイトですが、20×200とは一点20ドルでエディションが200点、という意味です。このサイトでは同じイメージを、サイズによってエディションの数を設定して販売しています。一番小さい8×10サイズが20ドルと手頃な値段で、50ドル、200ドル、1000ドルという風にサイズによって値段とエディション数が変わってくるんですね。エディションの数のとなりにremaining(残数)が書いてあります。買い手がサイズを選べて、合理的な方法で価格が設定されているということで、従来のギャラリーでの販売のあり方とは違う方法として注目を集めているそうです。

□ フォッタロットで取り扱っている鈴木全太さんという作家も、サイズによってエディションと値段を変えて販売していますね。日本のアートの世界ではあまり用いられていない方法なので、アイデアとしては面白いと思いますね。ただ、実際にモノとして手に取って見ないと、作品を購入する判断をするのは難しいんじゃないかと思いますし、僕もそのことでいろいろと難しいなと感じることも多いですよ。

■ 手頃な価格で写真を販売する試みの日本の事例として、「3000円で写真を売りましょ!買いましょ!」展という展覧会がありますね。去年から開催されていて、参加した写真家がすべて3000円一律で作品を販売する、というイベント的な展覧会です。

□ 僕の知り合いも参加していて、内情や意図もなんとなくわかるんですよね。関わっている写真家の方たちの多くが広告に関わるお仕事をされている方たちですね。僕も過去にフォトエージェンシーに務めていた経験があるので、こういうイベントが企画される状況がよくわかるんです。今は以前に比べて、広告の仕事が激減しているので、これからどうやって食っていくのか,というシビアな問題が根底にあるわけです。それならアートで食うしかない、と。それは僕が持っている意識と共通する部分もあるんです。たしかに日本では写真をアート作品として売買するという土壌が浅いけれども、そこからどうにかして土壌を開拓していく必要がある。手頃な価格で写真を販売するということで設定されたのが3000円という値段で、彼らが言うにはCD一枚分の値段ということなんですね。危機意識みたいなものは共感できる部分はあるんですけれども、僕だったらこういう手段は選ばないかな、と思います。


デジタル・フォトフレームDigital Photo Frame

■ こういうイベントで人が集まって、写真の売買に対して興味が喚起されるということ自体は良いことなんでしょうね。でも、この先の段階をどのように構想していくのか、ということが見えづらいような気もします。話は変わりますが、柿島さんの額装の仕事との関連づけとして昨今のデジタルフォトフレームの流行を少し取り上げてみます。ここ数年家電量販店でデジタルフォトフレームの売り場が拡大しましたよね。デジタルカメラの普及で、沢山の人が自分の撮った写真を持て余すようになったんじゃないかと思うんですね。写真を撮っても、カメラのメモリーカードにデータとして入ったままで見ることもしない。カードに入れたままでは忍びないので、写真を見るようにはしたいけれどもプリントというモノに転換する気にはなれない。そこで液晶モニタに額縁をつけて飾ってみられるようにした商品が売れるようになっていて、Parrot Photo Viewerのように洗練されたデザインを謳うデジタルフォトフレームも出てきていますね。

□ 僕の知り合いでも、バンバン写真を撮ってはいるんだけれど、カメラをパソコンに繋げもしないし、ましてやプリントアウトもしない。カメラのプレビュー画面で見ているだけなんですよね。それが良いのか悪いのか判りませんけど、その人にとっては写真との関係性っていうのはそこで止まっているんですよね。

■ 最近は、デジタルフォトフレームつきのプリンタなんていうのも売り出されていますよね。デジタル化とインターネットの普及で、写真がいつでもどこでも見られるというような環境が作られている、と思い込まされているような現状がありますけれども、それは電源とネットワーク環境があるという前提での話ですよね。

□ そうですよね。最近はよく言われるようになってきましたが、デジタル化してメディアに保存すればデータが永遠に残るというのは間違いで、そのデータは再生する機器と電源がなければ何にもならないんですよね。たとえば、少し前までは使われていたMiniDiscとか今ではほとんど目にしませんよね。メディアでデータを保存して維持して残すというのには、たえず機器や環境をアップデートしていかないといけないという負担もあるし、メディアが故障したらデータが全部なくなってしまうという危険性もあるわけですよね。確かにプリントも火事や色々な原因で破損することもあるだろうけど、デジタルのデータのような方法で全滅ということはないんじゃないかと思うんですよ。デジタルフォトフレームも、デザインが良いものが出てきて、素敵だなと思うものもあるんですけれど、こういう装置を終着点にして写真を見るのが当たり前になるのは危険でしょうね。

■ 物質として写真とどのようにつきあっていくのか、ということがこれから本当に大きな課題になっていくでしょうね。ところでimage.jpg photo frameという「アナログのデジタルフォトフレーム」があるんですよ。マックのウィンドウをそのまま立体化した木製のフォトフレーム。当然ながらコードもLCDもありません。

□ 謳い文句がいいですよね。「消費電力はゼロ、しかも操作は簡単。プリントされた写真を枠の中に差し込むだけ。美しい高解像度の写真をいつまでも楽しむことができます」って。(笑)

フォッタロットの設立にいたるまで

■ アートや写真をめぐる現状もふくめていろいろなトピックを拾いだしてみましたけれども、これからは柿島さんの活動についてお話して頂こうと思います。まず写真に関わるようになったきっかけって何だったんでしょうか?

□ もともと僕は日本大学で歴史を専攻していたんですよ。僕は歴史を学ぶってことは平和につながると思っていて。カッコいいでしょ?(笑)もともとは考古学に興味があったんですけれど、卒論に選んだのは近現代史で、なぜ戦争が起こったのか、ということをテーマにしました。でも、史学科の研究というのは限定的、というか史学というのは「資料」の「資」学なんですよね。文献ありきで成り立っていて、それなしにはものが言えない、引用命、みたいな世界なわけですね。「こうしたらいいじゃないか」という提案にはつながらないわけです。過去のことを学ぶ理由は、そこから未来を思い描くことにあるのに、そういうことを書くと、それは想像や希望でしかない、と言われてしまう、と。
そこで話が飛躍しますけれど、みんながアートを作ったり、家に持ったりするようになれば、戦争とか起きなくなるんじゃないかと思ったんです。僕の親戚がアーティスト一家で、彫刻や陶芸をやっている人がいて、彼らの生活を見ていると平和そうだなぁ、って。平日なのに家にいるし、ネクタイの絞め方とか知らないし(笑)。で、大学を出てからアートを学び直すと言っても、これから絵を描くとか立体物を作るっていうのは気が乗らなくて、平面、写真はどうだろう、歴史を学んできたということも、時間とのつながりをもつ写真とシンクロしたんですよね。1997年にイギリスのKent Institute of Art and Design(現University College for the Creative Arts)に留学して2000年に卒業をしました。入学したときにはコースの名前はPhotography だったんですけれども、2000年に卒業した時にはPhoto Mediaに改称されていたんですよ。入学した頃は8×10のような大判のカメラを使って撮影して暗室作業をする、という感じだったのが、卒業する頃にはフォトショップを使って制作して、プロジェクターで投影する、みたいな感じの内容に変わっていたんですよね。コースの先生もがらりと変わって、昔からいた写真の先生のかわりに、Royal College of Artから来た現代美術系の人が教授になったりして、作品のコンセプトや理論が重視されるような傾向になっていきましたね。

■ まさに、写真が大きく変わっていく流れを反映していますよね。大学を卒業してからも、イギリスやオランダで仕事をしていたんですよね。

□ そうですね。当時写真家がウェブ業界に行くのが流行っていたんですよ。当初は大学院に進もうと思っていたんですけれど、一度世間に出てからまた大学に戻ろうかな、と。就職活動をして、オランダとイギリスに履歴書を送って入ったIT系の会社の支社が東京にあって、東京で採用になったんですね。ちょうどネットバブルの頃で、ものすごく忙しくて体を壊しちゃったんですね。その会社の後は、広告用に写真を貸し出すフォトエージェンシーに勤めました。その頃はまだポジフィルムをレンタルするような業務形態でしたね。毎日ファックスで注文が来て、注文に応じて多量のポジフィルムを凄いスピードで見て、クライアントに提供していました。まだ当時はネットがそんなに普及していなかったですね。そういうアナログな方法で仕事をしていた同時期に、Getty ImagesCorbisのような海外の大手フォトエージェンシーがデジタル化を進めて日本に進出していましたから、このまま日本の中小のフォトエージェンシーは体力的に保たないだろうなと思っていたら、僕の勤めていた会社もなくなりましたし、マレビトスクールのメンバー、林さんが勤めていた会社もなくなりましたね。その次は百貨店にショップ展開をしていたインテリア・アートの会社に入社して、ショップ勤務から始めて、人事、新規営業、商品開発などいろいろな仕事を手がけました。

■  その後独立してフォッタロットを立ち上げられるわけですが、その前後の頃からお話してもらえますか? 

Interior Art Shop

□ インテリア・アートの会社にいたとき、会社の経営が大変だったので、写真の商品を開発して店舗に置いてみようという話になったんです。それで、僕が額付きで10000円台の写真の商品を開発してショップ勤務の人にプレゼンをしたのですが、ショップの人からは「なんで写真なのにそんなに高いの?」って言われるわけです。お客さんからも「写真ってコピーでしょ?なんでこんなに高いの?」っていうクレームがあった、ってショップから本社へ上がってきたりして、それも辛いわけです。それで、写真作品はコピーじゃない、っていうことを図式を書いて説明したりしていました。写真の場合、ネガやデータは素材でこの時点では作品としては成立していなくて、プリントとして物質化した時点で初めてオリジナル作品になる。かたや、一点の絵画を複製画にしたり版画にしたりする場合は、それは複製なんですね。でも実際市場の評価としては、写真作品を額つきでちゃんと作って1万円で売っても、それはコピーだというふうに看做されますし、かたや格下のギャラリーで販売しているような、作家と呼ばれる人が下絵だけ作って、工場で流れ作業的に大量生産されているような油絵は、5,6万円でも売れるんですね、「油絵だから」という理由で。お客さんの多くが「油絵」という技法ばかり見て、作品の芸術性は見てなかったですね。
人事の仕事でショップ担当の人に販売指導もしていたことがあるんですけど、その時僕はショップの人に、お客さんに対して作品の「価格」よりも作品のものとしての「価値」を伝えることが重要だ、というふうに言っていました。作品の芸術性やエディションの数、作家の知名度や制作技法などの価値を売り手がきちんと説明した上で、お客さんが価格に照らし合わせて作品を購入できるようにしないといけない、と思うんですよ。そういった説明なしには作品は売れないよ、という指導をしていたんです。作品を販売する際に安さの話を先に出したり、将来価格が上がるかもしれない、という売り方をするひとがいますが、価格の話を先に持ち出すと、そのものに備わる価値に眼がいかなくなってしまって、それでは意味がないわけです。
こういった経験から、今のフォッタロットが目指すボジションというものがかたまってきたんですよ。つまり、美術館や富裕層のコレクターを顧客とする、数十万から数億円の商品を販売するような商業ギャラリーというものがピラミッドの頂点にあるとするならば、底辺にあるのはポスターやポストカードのような数百円、数千円の商品を販売するような雑貨店がある。その間を橋渡しするような存在として、こだわりがありつつ現実的な生活者にとって手に届く価格の商品として、額付きの真っ当な作品を真っ当な価格で提供する小売店としての立ち位置を目指したいなと思っていますね。

■ そういう販売を目指すために具体的にどういったことを試みて来られたのでしょうか?

□ 実は写真商品企画する前から、私が望む形での「アート写真」を百貨店のお客さんに売るのは難しいと思っていました。でもせっかくの機会なので、会社には悪いが色々実験をさせてもらおうという感じで写真部門を立ち上げました。百貨店のインテリア・アート売り場のお客さんというのは、作家ではなくモチーフで作品購入を判断するわけですね。作品のコンセプトとかそういったものではなくて。ですから、最初の商品開発では親しみやすいモチーフということで「犬」を選んで、パリ在住の写真家の方にお願いしてパリの街角の犬のスナップショットを6×6のカメラで撮ってもらって、出力したプリントにサインを入れて頂いて額込み18900円で販売しましたが、なかなか苦戦しましたね。よく売れたのは、花を撮影したポラロイド写真を転写した作品をもとに出力したプリント作品です。版画に近い感じの作品だったので、絵画に似合うような額を選んだのがよかったんでしょうね。写真家の方にお願いして各店舗でサイン会も開催しました。

■ 商品開発だけではなくて、作品を家に飾るための提案にも工夫をされていたんですよね。

□ 作品を買ったり飾り慣れたりしている人、といういのはそんなに沢山いるわけではないですから、作品を買って頂く上でいろいろとお世話をしなければならないわけです。それで、作品を飾るために必要な金具やワイヤーのサンプルを用意して、壁の種類や作品の重量にあわせて必要なものをご提案していましたね。賃貸住宅の場合はとくにそうですが、絵や写真を飾るのに、壁に穴をあけたり傷をつけたりしたくないという要望も多いです。絵や写真を初めて購入する、というお客さんの不安を解消してあげたいんですよね。


フォッタロットの仕事

■ フォッタロットとして独立してから、写真家の作品を取り扱ったり、額装のコーディネートの仕事をされたりしているんですよね。

□ 現在4名、熊谷聖司さん、尾黒久美さん、鈴木全太さん、村上将城さんの作品を取り扱っています。取り扱い作家については、作品重視のシンプルな額装をしています。また、写真作品をインテリアの中に取り入れて頂きたいという気持ちから、いろいろな方と組んで仕事をさせて頂いています。たとえば、ideot(イデオット)というアンティークショップがあって、オーナーの方のおじいさまが撮影された古いカラー写真のスライドをもとに商品を作って販売しました。結構売れているみたいですね。作家作品と言うよりはインテリア商品という注文だったので、作品やショップの雰囲気に合わせ、渋い銀色や金色の厚めのフレームを使いました。

Framing Matting

■ 額装の例を見せて頂くと、作品にあう額を選んでいるだけではなく、作品と額が相まってインテリアとしてどういう雰囲気の空間を演出できるのか、ということを考えているのかということもわかりますね。

□ まずは作品ありきの額装なんですけれども、その作品をお客さんが買って部屋に飾ることで、どういう雰囲気や気分を味わうことができるのか、ということも想定していますね。つまり、作品というコンテンツから発想する場合もあれば、インテリアという周辺の状況から決めていく場合もありますね。作品が持つ味わいを引き出すように、マットの厚みや幅、額とのバランスを考えて設定しています。額装は、作品とそれを置く空間とのバランスで決まってくるので、どういう額装が正解というのではなく、状況に応じて落としどころをどう決めていくのか、ということが重要なんです。写真家以外にもイラストレーターの方とも仕事をすることもあります。会社に勤めていたころに、写真以外にもいろいろな作品の額装を経験しているので、そういった経験が活かされていますね。イラストの場合は写真とは違って、色付きのマットを使うというような遊び心のある額装もできますね。

■ ご自身で額装の仕事をされるほかに、額装のワークショップを開催されたりもしていますね。

□ このワークショップでは、色々な額やマットのアレンジの仕方を指南しました。実際にカッターを使って作品にあうようにきれいにマットを切るのは専用の道具も必要ですし、きれいに仕上げるのは難しいですから、専門の業者に頼んだ方が仕上がりはいいし、実際に安上がりなんですよ。ですから、ワークショップでは業者に発注するための発注書の書き方を指導しました。

■ そのほかにも色々なお仕事をされていますね。Bar Kakishima

□ 横浜美術館の前にある住宅展示場で去年11月に開催された「横浜アート&ホームコレクション」に出店したギャラリーのお手伝いをさせて頂きました。モデルルームを見に来られる方に、室内のアート作品も見て頂こうというイベントだったのですが、モデルルームでは壁に傷をつけられないということで、モデルルームの中にあった椅子の上に作品を置く、という方法で展示しました。フォッタロットの取り扱い作品も玄関のスペースに展示させて頂きました。
フォッタロットの立ち上げのイベントを、Transista という家具屋さんで開催しました。Transistaはイギリスから素敵な家具を輸入されたりもしているのですが、実際に家具のあるスペースで写真を展示することで、写真がインテリアの中に組み合わせたら良いのかというのを体験してもらえたらと思ったんですね。ギャラリーとかに足を運ばないような人たちも、お子さん連れの人も沢山来てくれましたし、実際に作品も結構売れましたよ。お店の中にある植木の鉢もそのまま置いたままにして、空間をスタイリングさせてもらいました。フォッタロットは、作品を見て下さる方に対して可能な限り敷居を低くしていきたいと思っているんですよ。敷居は低いけれども、商品のクオリティは高く保ちたいと思っています。
そのほかに、オガワカフェのようなカフェや、Hi famigliaというギャラリーを併設したカフェでも展示をしています。僕が住んでいる三鷹、吉祥寺方面のお店が多いですね。

■ ご自宅でも写真作品を飾っていて、お友達を招かれたりして、Barカキシマというイベントを開催されたりしていますね。

□ そうですね、僕も妻もホームパーティが好きだということもありますし。アート写真を買って飾りましょうと言っているからには、ちゃんと自分で飾りたいという気持ちもあって、人をお招きしたりしていますね。季節や趣旨よって壁に飾る作品を変えたりもしています。

■ 柿島さんの活動は、心地よい時間を過ごしたり、人を招いて関係を作っていくための居住空間を大切にしようという、ということにも結びついているんですよね。

□ そうですね。これまでって、人の付き合いっていうと、レストランや飲み屋さんで食事をしたりお酒を飲んだり、ってことが主流だったと思うんですけれど、これからは人を家に呼ぶ、ということも選択肢の中で大きな位置を占めてくるようになるんじゃないかと思うんですよ。そういう人のつながりの中に、アート作品が介在していけばいいな、と。多分、こういうホームパーティって昔で言えば、お茶会のようなものだと思うんですね。お茶を楽しみながら、床の間の掛け軸について語らうということが、日本の伝統的な家屋や生活習慣のなかにあったわけで、それを現在の生活環境の中に組み込んでいければいいんじゃないか、心豊かな生活ができるのではないか、と思うんですよね。 

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